インターンシップその後(1) 〜ユニバーシアード
 

「インターンシップ 〜米大統領選挙」編の第一話はこちらから。
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これまで、米国留学中に経験したフィルム運びのインターンシップのお話を紹介しましたが、ご縁とはあるもの。

ここでの出会いがきっかけで、次のインターンシップの機会に恵まれたのです。

 

大統領就任式や党大会には、開催場所の近隣都市から召集されたカメラマンたちが撮影をしたのですが、すべてのイベントに呼ばれたカメラマンの一人がジョーでした。

ジョーは、巨漢のベテランカメラマンで、日焼けした顔で声高らかに笑うビール好きのおじさん。ナイアガラの滝があるニューヨーク州バッファーロー在住で、ロイター通信ではストリンガーと呼ばれる地方通信員として契約していました。

国土が広いアメリカにはジョーのようなストリンガーが全米にいて、取材が必要な時に現場へ駆けつけます。


そのジョーが、夏休みにバッファーローでユニバーシアードがあるので、写真を撮りに来ないかと声をかけてくれたのです。

ユニバーシアードとは「学生のためのオリンピック」といわれる総合競技大会で、17回目を数えるこの大会は、アメリカで初めて開催される夏季大会でした。

ジョーは大会の公式記録写真を撮る仕事を請け負い、仲間に声をかけてカメラマンチームを組織しているとのこと。インターンシップと一緒で、ギャラは出せないけれど滞在先はあるとのことでした。

 

さて、この話をいただいた頃の私は大学4年生。卒業後の進路として、アメリカに残るか、日本に帰国するか迷った末、日本に帰ることを決めていました。

新聞社で仕事をしたいと思っていた私は、ニューヨークで日本の大手新聞社の記者をしている知人や、日本から企業派遣で大学院に留学している記者さんたちに相談をしていました。
皆一様に、日本の新聞社に就職したいのなら、卒業後はすぐに日本へ帰って就職した方がいいと勧めてくれました。


世間知らずの私は、それがどういうことなのか当時は全然分かっていませんでしたが、日本に帰りたいと思うようになりました。
アメリカ人の中でさまざまな体験をしていくうちに、当たり前ですがアメリカ人と同じように英語を使い、発信することはできず、やりたいことではないと感じていました。かといって、日本人としてアメリカの中で勝負をするには、あまりにも自分が心もとなかったのです。

高校を卒業して渡米した自分は、日本文化や社会のことを知らなさすぎるという不安に包まれることがありました。
日本人というアイデンティティーを持ちながら、何にも知らない自分がアメリカでやっていける自信がまったくなかったのです。

この時の私は、アメリカは自分から向かっていきさえすれば、いつでも受け容れてくれるところだという確信を持っていました。でも、日本はそうでないことは感じ取っていました。

 

日本の大学生が進める就職活動について、何の知識もなくノーテンキだった私は、この時になってようやく日本の就職情報に注意を払うようになりました。

日本の新聞社の入社試験は、ちょうどユニバーシアードの開催期間中にあります。ここで帰国をして試験を受けなければ、次のチャンスは翌年で、就職浪人になってしまいます。

 

さあ、どうする?

 

そんな二者択一のこの状況で、私が選んだのはユニバーシアードに行くことでした。

新聞社のチャンスは来年もあるけれど、ユニバーシアードのチャンスは今しかありません。
このチャンスをいただいて、とにかく現場を体験したい、写真を撮りたいと思ったのです。

 

ジョーには参加したいと返信しました。

そして、アメリカ人の学生たちがやるように、私は手紙をしたため、履歴書とポートフォリオと呼ぶ写真の作品をつけて、日本の新聞社と通信社へ郵送したのでした。  (つづく)
| Sayuri Inoue | 【体験記】 「インターンシップその後 〜ユニバーシアード」 | 00:27 | comments(0) | - | - |